Special
カモノハシ・セレクションpart1

1999年4月から10月までのカモノハシ通信の中から、個人的に「これは結構いいんじゃないの」というのだけを選んでみました。基準としては一応「心暖まるモノ」ということで選んでみました。よかったらどうぞ読んでみてください。
この中では「『週間ベースボール』のプライド」ってのが自分では一番好きです、

●市民プール 1999.4.13
●あの頃へ 1999.4.21
●「週間ベースボール」のプライド 1999.5.20
●影響 1999.5.21
●「楽しさ」について 1999.6.8
●朝練の記憶 1999.6.21
●無人の教室で 1999.6.28

 カモノハシ通信ヘッドラインへ戻る



無人の教室で 1999.6.28

 毎週月曜日に僕は大学の授業に出ているわけですが、僕はこの授業がけっこう気に入っ
ています。いや、この授業に出るという行為が気に入ってると言った方が正確です。

 この授業は毎回9時に始まります。そう最初の授業で決まったんです。本来、大学の1
時間目は8時40分に始まるのですが、教授と学生の合意の元で9時スタートになる例は
よくあるみたいです。僕としては8時40分スタートの方がいいのですが。なぜかという
と僕は朝8時20分には教室に入っているからです。そして授業開始までの時間をゆった
りとすごしています。

 僕はこういうゆったりとした時間が好きです。いつもは午後の紅茶レモンを買って教室
にはいるのですが、今日は午後の紅茶ストレートを買いました。授業開始までまだ40分
近くあります。僕以外に学生なんているわけがありません。時々掃除のおじさんが教室を
掃除してるので、目が合うと「おはようございます」ってあいさつします。

 こういう時の挨拶って気持ちいいものです。「あいさつしよっかな、どうしよっかな」
ってときはあいさつするに限ります。全く知らない掃除のおじさんにあいさつするのは時
として少し恥ずかしさをともなうものですが、たいていはあいさつをするとお互いが気持
ちよくなるし、逆にあいさつをしないと気まずい時間が流れてしまうものです。僕はよく
「あーあいさつしときゃよかった」と思うことが多いのです。

 さてさて、誰もいない教室に入ると僕はいつもと同じ席(僕が勝手に「僕の席」と決め
ている)に座って、午後の紅茶のプリングをプシュッと開けます。僕は無人の教室に響く
この「プシュッ」って音が好きです。一口それを飲んだ後、たいていはカバンから文庫本
を取りだし読み始めます。今日は原田宗典の文庫新刊『大サービス』を開けました。実は
行きの電車の中では村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』を読んでいたのですが、授業
前にこれを読むと、いささか頭が疲れてしまうので、あえて原田宗典さんのお気楽エッセ
イを選んだのです。(僕はよくカバンの中に2冊の文庫本を入れているのだ。)

 8時30分になると、窓の外から鐘の音が聞こえてきます。僕はこの音がすごく好きで
す。鐘の音は賛美歌を奏でています。僕が良く知ってる賛美歌。だけど思い出せません。
そして僕はすこしだけ悲しい気持ちになります。賛美歌は僕に、僕が失ってしまった大切
な時間の記憶の存在を強烈に意識させるからです。僕が良く知ってる賛美歌、だけど思い
出せません。
      
朝練の記憶 1999.6.21

 水泳部の朝練週間もやっとこさ終わりました。朝練にはいろいろと思い出があります。
思い出せる限り書いてみます。

 まず最初に思い出すのが、僕が中3の時の朝練です。朝練といっても完全に僕が1人で
勝手に朝来て泳いだだけなんですが。当時は、「誰にも知られずに影で努力するオレって
カッコイイぜ我ながら」てな意識が働いてました。その頃ついに100ブレのタイムで井
上と勝本に抜かれてしまったことが、この朝練をしようと思ったきっかけでした。それま
では「メッケ(メドレーリレー)のブレはオレだもんね、言うまでもなく。」という風に思
っていたのですが、もはやそんな状況ではなくなってしまって、けっこう焦ってたんだと
思います。

 朝、誰もいないプールの鍵をあけて1人部室で着替えて1人で泳ぎました。初日はラン
グバスターとショートレストをやったのを覚えています。普段は1人でなんか絶対に練習
ができないクロタキですが、そのときは「1人で泳いでるおれってカッコイイ」という自
意識(というかナルシズム)が働いていたためすごい真剣にまじめに泳いでました。

 さてさて、でも今も昔も変わってない僕の性格を考えればわかるように、僕がこういう
自主朝練を1人でやってることを誰にも言わないわけがありません。でも自分から「おれ
さぁ、今日朝泳いでん。」っていうのは憚(はばか)られたので、わざと頭をよく拭かずに
ちょっと濡れたままにして教室に行ったり、わざと「あーオレって疲れてる、なぜなら朝
泳いだから」的雰囲気を仲間の前で醸し出したりしてそれとなくアピールしてました。つ
まり誰かから「クロひょっとして朝、泳いだん!?」って言ってもらいたかったのです。

 そして翌日も、僕は始発の電車に乗って学校に向かいました。実は前日、当時一番仲の
良い後輩の1人だったマルに「明日朝一緒に泳ごうぜい」って誘ったんです。でもまさか
本当にくるとは思いませんでした。西宮北口で宝塚行き(そのときは宝塚南口行き)の電車
に乗って座って発車を待っていると、階段の方からマルが降りてくるのが見えました。こ
のときのどんなに嬉しかったことか。「ク、ロ、さんっ!」とか言ってマルがこっちに来
るのを見ながら僕は「もうこいつと結婚してもイイ!」とまで思いました。というのは冗
談ですが。

 プールに着くと2人とも着替えて泳いだんですが、練習をしたのは僕だけで、マルはた
だちょこちょこと泳いでいるだけでした。でも、僕の練習にあわせて「5秒前!」とか声
を出してくれたので、僕としては本当になんというか嬉しかったです。こういう体験の積
み重ねが僕に「声」の重要性を教えてくれています。

 結局、この自主朝練は、このあと1回やって(このときもマルは来た)終わりました。
なんというか若い日のイイ思いでの1つですね。

 中学部の時の朝練で覚えているのはもう1つ。クラブでやった自主朝練シリーズです。
今年の自主朝練は半ば強制でしたが、普通は自主朝練といえば本当に自主的なものです。
中3の時は全部で3回か4回ありました。僕はこの自主朝練に全部出たんですが、それは
僕だけでした。なんていうか「そういうのはオレの役目だ」みたいな意識がすごくあるの
で、いわば義務感によって出た感じです。こういうのが僕の小さなプライドを育ててくれ
たんだと思います。

 さてさて朝練で忘れてならないのが、高等部での朝練です。僕が高等部の頃はたしか2
月頃(全然ちがったっけ?)に西宮の市民体育館のところのプールを借りて朝練をしていま
した。朝6時30分ごろにみんなで西宮北口に集まって、そこから歩いて行きました。そ
して7時から1時間弱泳いだ後、バスに乗って学校に行ってたんです。僕は何でかは忘れ
たんですが(たぶん足の骨折の影響だったと思う)、高1の時は泳がずにずっと見学で、
高2の時は泳ぎました。高2の時になぜか1人でプールまで行って「今日は一番乗りだ」
って思って着替えてプールに行ってみると、豪さんが1人で柔軟体操をやっていて驚いた
記憶があります。なぜかわかりませんが、僕はこのプールを思い出すとき、このプールの
5mラインと12.5mラインを思い出します。たぶん、どちらも白かった(KGのプー
ルは5mが赤色)からだと思います。

 ちなみにこのプールで監視員のバイトをしたこともあったなあ。

 そして大学生になって久しぶりの朝練。まず最初は僕が大学3年生、ひさしぶりにプー
ルに復帰してすぐの頃です。それは自主朝練だったのですが、参加したのはベンとフナち
ゃんの2人でした。そしてその日、プールは緑色でした。正確に言うと、ちょっと茶色の
入った緑色、最悪の水です(だから覚えてるんですが)。たしか雨も降っていました。

 そして大事なのは次の年、僕がヘッドとして迎えた最初で最後の朝練です。この年は自
主朝練はたったの1回しかしませんでした。まったく強制はしなかったので、一体誰が来
てくれるんだろう?誰も来なかったらどうしよう、誰も来なくてもガッカリしないように
しよう、とかいろいろ思いながらプールで1人待っていました。カセットでビートルズを
聴きながら。(このときのことは過去の水泳部日記にすごく詳しく書きましたね。今は読
めませんが。)とにかくこのときは一番来てほしかったタツタマンが来てくれたのをはじ
め、クロ、アミ、ナリが来てくれたので、僕的にはすごく満足しました。ちなみにその日
の午後に市内選抜のレースがあって、例の「黒田君やる気無い発言帰れと言われて帰ろう
とした事件」がありました。

 そして今年、僕はコーチでもないし、頼まれもしないのに、ほとんどの朝練に出ました。
今年に関して特筆すべきことがあるとすれば、それは1年生の自主参加でしょう。僕の知
ってる限り、1年生が、たとえ先輩から誘われたとはいえ、朝練に参加したのは今年だけ
です。それともう1つあるな、レースをしましたね。これも初めてでしょう。

 ただ、僕個人のことを言うと1つ、ちょっとイイことがありました。西宮北口で電車に
乗っていると、もりっちが同じ電車に乗ってきたのです。もりっちは僕に気づかずにさっ
さと横になって(!)寝てしまいましたが、僕としては、まるで昔、マルが来たときと同じ
ような感動をちょっち味わいました。

 朝練について印象に残ってることはこのくらいです。きっと忘れてることがたくさんあ
るんだろうな。記憶は時とともに薄まっていってしまいます。
 だけど、そこにあった記憶の存在感は僕の中にいつまでもあることでしょう。
     

楽しさについて 1999.6.28

6月に入ってからカモノハシ通信が途絶えてしまってます。これはひとえに「水泳部日
記99」を開始したためです。だけど、たまには暇を見つけてこっちも書いていきたいと
思います。
 
 今日も「楽しさ」について考えさせられるできごとがありました。水泳部の2年生の何
人かが「練習に楽しみがない」という理由でクラブに来なかったのです。そう言われると、
「たしかに練習はあんまり楽しくないな」というしか無いのではないですか?だってシン
ドイ思いをしてたくさんの距離を必死に泳ぐよりかは、家でマンガをよんだり、ゲームを
してるほうが楽しいんだから。これが野球とかバスケとかのチームスポーツ・ゲームスポ
ーツなら練習中にも楽しいことはあるのかもしれませんが、水泳や陸上のような個人競技
の場合、練習中に楽しめるところはほとんどありません。

 だけど、これはもちろん水泳部を長年やってきたから言えることなんですが、「練習の
楽しみ」ってのは練習中にわかるもんではないですよね。自分がこれだけ頑張ったんだ、
だから、こんなに速くなった、成長したってところに楽しみがあるわけです。

 そしてもう1つ。こっちのほうを僕は特に大事にしてるんですが、仲間との時間の共有
ってことがある種の楽しみですよね。水泳部で練習して、仲間と一緒に帰る。水泳部で一
緒に練習してるから、遊びに行くときも一緒。しんどい時間も楽しい時間も仲間と共有で
きることは「楽しさ」ではないでしょうか?

 練習にこなかったら時間の共有なんてできません。楽しい思いをすることはできません。
よねえ。  
           

影響 1999.5.21

 僕がもっとも影響をうけた人と言えば、(親をのぞけば)それは僕のコーチ岩田さんと
いうことになります。中学部の頃は「岩田さんのような人になりたい」って思っていたし、
岩田さんの話を聞くのが好きでした。岩田さんは当時青のユーノス・ロードースターに乗
っていました。夏には屋根を取ってオープンカーにすることができました。そうそう後ろ
に青いスライムのぬいぐるみを置いていましたね。僕が情景として思い浮かべるのは、秋
ぐらいかなぁ?屋根をとってオープンカー状態で僕が助手席に乗っています。岩田さんと
2人だけです。逆瀬川らへんを走っています。あ!逆瀬川ということは僕がヒザの治療を
してるときかな?となると夏だな。とにかくその時に岩田さんと話していたのは、「後輩
から慕われることの大切さ」みたいなことでした。「やさしさ」みたいなことについても
話をしていました。僕が自分の中でもっとも大切にしてたことに関する話でした。
 岩田さんにはとにかく影響を受けましたね。

 ほかに僕が影響を受けた人と言えばいろいろいるんですが、たとえば同級生の村瀬です。
「一人語り」にも書いていますが、高等部の頃、彼が図書館で村上春樹の小説を読んでい
たんです。僕はその頃そういう大人の(と僕は当時思っていた)小説を読むことはなかっ
たので、それを読んでいる村瀬がすごく大人に見えました。今から思うと、僕はそういう
ところで村瀬から影響を受けていたのかなって思います。それ以外でも、とにかく僕は「
村瀬ってイイ奴だ」って思っていたので、彼のいろんなところを「参考」にしてました、
実は。けっこう謙虚だったんですよ、僕は。…え、まさかって?

 言うまでもなく今西・カツからも多大な影響を受けていますが、それはあえて書きませ
ん。というか書き出すときりがないだろうから、思い出したときにちょこちょこ書きます。

 ここまで、だいたいにおいてプラス方面の影響を受けた人を書きましたが、逆にマイナ
ス方面あるいは反面教師的影響を受けた人もたくさんいます。これはあんまり書くといろ
いろまずいことが起きそうなので書けませんが、ちょっとだけ。

 僕の友達に、僕がなにか「こんな大変な目にあったよ」って話をすると必ず「オレなん
かもっと大変な目にあったっちゅーねん!」って言って自分の話をする人がいます。長年
つきあっていますが今に至ってもその傾向はまったく変わってないようです。僕はそんな
彼をみて、自分はそうすまいと心に決めました。だってねぇ…。そりゃおもしろい話をし
たいから「オレなんて」っていう話をすることは僕にだってありますが、そうじゃなくて
まるで競い合うかのように「オレのほうがすごいぜ」ってことを言わなくてもねえって思
います。ちなみにその人はこのページを見てる人ではないのでご安心を。

 そうそう良い影響の話に戻りますが、忘れてならないのは僕の後輩達のことですね。先
輩からもいろんな影響を受けたのは確かですが、それ以上に僕の場合は後輩達から受けた
影響、学んだことが多くあります。冗談抜きで僕の後輩はみんなイイ奴ばっかりだったの
で、本当に頭が下がるって言うか、いろんな良いことを教えてくれました。というか僕は
僕の後輩達が可愛くてしょうがなくて、どうにか彼らから好かれたかったから、自分を成
長させることができた…ってのが本当のところです、たぶん。

 そんなわけで、今のクロタキがあるのは、本当にみなさんのおかげでございます。これ
からもどうぞよろしく。(なに急にあらたまってんだろ?)
    

「週間ベースボール」のプライド 1999.5.20

 駅の売店で「週間ベースボール」という雑誌が売っています。今日、ひさしぶりに売っ
ているのを見ました。僕は高等部生の頃ほぼ毎週この雑誌を買っていました。僕はプロ野
球が好きなのです。で、この雑誌にまつわる思い出話を1つ。

 「水泳部の人間は球技が下手くそ」という通説があります。もちろんそうじゃない水泳
部員もいますが、だいたいにおいてこの通説は言えていると思います。けど、このある種
の伝統を作り出してしまったのはひょっとしたら僕かも知れません。少なくとも僕は球技
がすごく下手くそです。

 だけど僕は下手くそなくせに球技が好きです。見るのもやるのも。だから体育の授業で
バレーとかバスケとかサッカーがあるといつも張り切ってやるんですが、すごい下手くそ
なので変に目立ってしまいます。でも思い切ってプレーをしていると時々はすごくうまく
いくことがあって、そういうのが好きだったんです。ただサッカーは冬の水泳部でよくや
っていたので、そんなには下手ではなかった・・・かも知れません。

 もちろんソフトボールにおいても同じです。僕は特にプロ野球が好きだったので、体育
の授業がソフトボールだとすごく嬉しかったんです。で、勝手にはしゃいで「4番ファー
スト石井っ!」とかって言って勝手に4番を打ったりして。でも実際はすごく下手くそな
のでまわりからは失笑されちゃいます。中学部の時のことですごくよく覚えてるんですが、
僕がバッターボックスに入ると、相手のピッチャー(当時のタッチ部)が「クロタキはパワ
ーあるから外野下がれよ!」って言ったんです。これはなんというか嬉しい経験でした。
けど実際はそんなに上手く打てるわけがありません。「カッコ」だけでした。

 そして事件(というほどのことはないけど)は高校2年生の時おきました。たしかそれは
木曜日、そう「週間ベースボール」の発売日のことでした。僕は朝、駅の売店でそれを買
って学校に行き、休み時間に熱心に読んでいました。たぶんそういう僕を見ていたんでし
ょう。その日の午後の体育の授業はソフトボール。僕はまたはしゃいで「6番!サード金
村!」とかって言ってバッターボックスに立ちました。すると後ろにいたアメリカンのや
つらが「おい『週間ベースボール』打てよぉ!」「『週間ベースボール』読んでんやろ!」
って言ってきたんです。僕が下手くそだってことを知ってるんです。これには僕もなんか
カチンときました。くっそーって思って僕は無我夢中でバットを思いっきり振り抜きまし
た。

カキーン!

 レフトオーバーの大飛球!僕は体育の授業だというのに全力で走ってホームに帰ってき
ました。ホームラン!もう最高です。僕のことを「週間ベースボール」って言ってたアメ
リカンのやつらも唖然としてます。やったぜい!この時はもう本当に気分爽快でした。

 僕は(ご存じの通り)よくバッティングセンターに行きます。なかなかうまくは打てな
いけれど、時々でる最高の当たりを求めて、僕はまた1000円札を使ってしまいます。
また誰か一緒に行こうぜい!
    

市民プール 1999.4.21

 関西学院の良さの1つに中・高・大の10年一貫教育ってがありますよね。特に中高
の6年間はまさに「イッカン」て感じがしてナイスです。?。

 われらが水泳部においてもこれは言えます。中高と6年間水泳部にいれば、それなり
に6年分の先輩後輩ができます。ところが最近の中・高水泳部を見てるとどうも縦の関
係、特に中・高とまたがる関係が希薄になってきてるような気がします。

 かつては水泳部も中・高そして大学まで含めた縦の関係があったようですが、今や中
高と大学の間にはものすごい大きな壁、あるいは溝があります。高等部水泳部から大学
の水上競技部に入った人はここ10年で5人いるかいないかだと思います。さすがに大
学で水泳をやるということは、学業の一部のクラブとはちょっと意味が違ってくると思
うので、それは仕方のないことだと思います。

 でも、中・高の関係までもが、希薄になってしまってはいけません。

 僕が高等部の時は(あーあ、また昔話だよ、まったく)中学部の新入部員ともけっこ
う話をしたりしました。高1の時、中学部の新入部員は稲垣・新葉兄の学年ですが、彼
らの学年のことは結構知ってます。特に加藤(なつかし!)とは家が近くだっというこ
ともあって、一緒に帰ったりしました。十三からの普通河原町行きの電車の中で、加藤
君が熱心に「スト2」の話をしてたのが懐かしいです。一回うちに遊びに来たこともあ
りました。もちろん「スト2」をやったんですが(笑)。

 そうそう、あの頃は朝、西宮北口から乗る電車が決まってて、あれは確か、7時45
分発だったっけ?その電車に水泳部のメンバーがけっこう集まってました。

 ちょっと話はずれるけど、この7時45分発ははじめ僕と山崎が乗り合わせてた電車
だったんだ。それが水泳部メンバーが1人増え、2人増えして、みんなが集まったんだ。
山崎もあの朝の電車があったから休部になった後も水泳部の後輩と仲良くできたんだ。

 で、高等部になってからもその電車を使ってたので、もちろんそこには新入生も集ま
ってきます。そこには新葉兄がいたなぁ。あのころの新葉兄はすごくかわいらしいお子
さまと行った感じでしたね。そうそう新葉兄は一応みんなのとこには集まるんだけど、
誰とも積極的に話をしないから、いつもみんなのちょっと前を1人で歩いてましたね。
あれはきっと誰かに話しかけてもらいたかったんでしょう。僕はいっつも、なんか話し
かけてやらんと!って思ってました。そんなこんなで、新葉兄とはけっこうあの学年の
中でも仲良くなった方ですね。あと、宗や古野や太田や稲垣とも話をしたなぁ。

 宗とはよくキャッチボールをした。そうそうあの頃の稲垣の泳ぎはおもしろかった。
フリーなんだけど腕が一回止まるんです。ピタッ!って。それを見てた僕は、あいつ、
これから練習とかついていけんのかな?って勝手に心配してました。

 堂は去年久しぶりにプールであったとき、ホントに久しぶりだったのに、いきなり
「くろさん、ゴーグルの曇り止めもってません?」って聞いてきたので、びっくりした
けど嬉しかったのが印象的です。

 よく考えたらあの学年はそれより1つ上の学年の一部、ツトムや原田とかよりも仲が
いいのかも知れない。ってそれは言い過ぎか?

 それから高2の時の、中学部の新入部員は戸川の学年でした。この学年とは今や全然
話もできないし、仲も良くないけど、ちょうど彼らが新入部員だった頃はけっこう話し
かけたりしてました。本人達は覚えてないかも知れないけど。あとキャッチボールもし
ました。戸川ともしたことあるし、名前忘れたけど、ほとんどの奴としたことがありま
す。たぶん宗が間に入ってくれてたんだと思いますが。

 どうか今の高等部水泳部の人には、中学部に新入部員が入ってきたらその子達とも仲
良くしてあげてほしいです。どうも、今の高等部はそういう雰囲気じゃなさそうなので。

 ちょっとだけキツイことを言うなら、、…、いや、やっぱやめとこう。
 ただ、94年から96年にかけて僕が中学部水泳部に対して持っていた大きな不信感
の1つに、練習後「なんで1年生だけがプールに残ってて、2・3年は先に帰ってるん
だ!!!?」ってのがあります。練習が終わって、帰るときに、先輩と後輩がバラバラ
で帰ってる姿は、僕から見るとものすごく異常でした。なんで一緒に帰らないんだ!?
ってすごく思ってました。

 でもベンの学年が入り、そして立田マンやアミの学年が高等部に入ったことで、ちょ
っと変わってくれるだろろうと思ってます。だってせっかくなら、中高6年分の先輩・
後輩があったほうがいいでしょ。あんまりきつすぎるのもアレだけど。みんなが優しい
先輩・イイ先輩になってほしいものです。

 ただこの件に関して、僕も反省している点はあります。コーチをやってた間、もっと
高等部と協力すればよかったということです。ただ、これには言い訳があって、太田の
学年にはいろいろ言うことができても、その1つ下、2つ下の学年とはほとんど交流も
なくて話がしにくかったんです。なんといっても、僕のことを知らないってとこがネッ
クでした。でももちろんこれは言い訳です。こういうことでも、95年96年の中抜け
なしで4年間きちっとコーチをすることができていたら…って思わざるを得ません。

 なんか暗くなってしまった。うーん。
 でも今読み返すと、結局、僕は昔の思い出話を語りたかっただけだとわかりました。
そうなんだよね。僕は自分の思いで話とか、自分の話をしたいから、こういう日記のコ
ーナーを作ってんだい!でも僕みたいに自分のことばっかしゃべる人は嫌われやすいよ
ね。気を付けないと。

 ちなみにタイトルの「あの頃へ」ってのは、今聞いてるCDが玉置浩二の「あの頃へ」
なのでそうしました。それだけです。
   

市民プール 1999.4.13

 今日は午後4時から泳ぎに行きました。家から市民プールまでは車で20分ぐらいです。
車の中ではあいかわらず「ゆず」を聞きます。今は「サヨナラバス」が季節的にもあって
いてはまってます。「サヨナラバスよ〜、どうか〜、こーなーいで〜くれないか〜」って。

 市民プールは片山公園の中にあって、吹田市の図書館や体育館がまわりにあって、その
ための駐車場もあります。緑に囲まれていて、こないだ散歩しましたが、とっても気持ち
のいいところです。とくにこの季節はいろんな花が咲いてたりして、すごく気持ちいい。

 市民プールにはいると、まずは券売機で券を買います。大人1時間で250円。これは
破格の安さです。受付の人はいつでも「こんにちは」って笑顔であいさつしてくれます。
これもまた気持ちの良いものです。僕も「こんにちは」って笑顔であいさつして、階段を
おりて更衣室に向かいます。温水プール独特のあの塩素の匂いが漂ってきます。

 着替えて、シャワーを浴びて、階段を上りプールに向かいます。調子に乗ってひょいひ
ょいっと階段を上ります。でも途中で上からおばさんが降りてきて、なんかちょっと恥ず
かしい。でもひょいっひょいっ、と。

 ところが!プールを見ると、ちっこい子がたくさん泳いでいます。ちょうどスイミング
スクールの時間だったのです。もちろん一般遊泳者用に半分あけられていますが。でも小
学生低学年くらいの子がうじゃうじゃいるとねぇ、なんか泳ぎにくいです。一般遊泳者用
のスペースには、ホンマの遊泳用にコースロープを外してあるエリアと、僕みたいにちゃ
んと泳ぐ人のためのコースがあります。しかし普段なにもないときはそのコースは一番は
しの1,2コースなんですが、今日はそれが子供水泳部教室のすぐ隣の5コースオンリー
だったのです。すぐ横ではちびっこがワヤワヤ泳いでます。これは泳ぎにくい。

 泳いでいても、なーんか見られているようで落ち着きません。普段でも、監視員2人の
目が気になっている僕なのですが、この日は子供、指導しているおばさん+お姉さんコー
チの目も加わってすごく気になる。あんまり早く泳ぐと「この人はなにコレミヨガシにカ
ッコつけてるのかしら」って思われそうだし、あんまりとろいと「この人何しにきてんの
こんなにトロイのに。ひょっとしてロリコンの変態?」なんて思われそうで気が気であり
ません。わかる?

 まぁでも心の中では、ちょっとイイかっこしたろうという気持ちが少し働いてしまうの
が正直なところです。あわよくばちびっこの相手をしているお姉さんコーチの注目を浴び
て、ちょっと仲良くなって、帰りがけその子が道を歩いているところを「おくるよ」とか
言って車に連れ込んで、……、なーんてできるわけないなこのオレに。
(決してそういう不純な目的でプールに通ってるわけではありません。念のため。)